お産を考える

若草助産院では「お産」という言葉が普通に使われていますが、私にとってはあまり馴染みのないどこか「生温かい」感じのする言葉で、「出産」という言葉のほうが身近でした。また、自分の出産を考えても「助産院」は選択肢の一つとしてもなかったと、今改めて思い返します。

ちなみに私の場合、新しい土地で身近に知り合いもなく出産関係の地元情報もないまま、迷いもなく第一子は総合病院で出産しました。そこでは、生まれてすぐに我が子は新生児室に連れて行かれてしまい、時間になると授乳するために長い廊下を歩かされたというのが腑に落ちず、第二子は個人病院での出産を選択しました。しかし、残念ながら生まれてすぐに赤ん坊が黄疸ということで、光線療法のため別室に連れていかれてしまい、結局母子同室の希望はかないませんでした。

さて、助産院に来てはや4か月がたち、助産師から「お産」という言葉を聞き、「お産」にまつわる話を聞くにつれ、今更ではありますが「お産」という言葉にも慣れ始め、いろいろと考えることも多くなり、雑想ではありますが少し文章を書いてみようということになりました。

最近読んだ本があります。『大往生したけりゃ医療とかかわるな』(幻冬舎新書中村仁一著)です。中村氏は財団法人高尾病院の院長、理事長を務めた後に、社会福祉法人養護老人ホーム「同和園」附属診療所所長・医師です。

「人間は、生きものである以上、老いて死ぬという運命は免れません。最先端医療といい、再生医療といい、所詮、「老いて死ぬ」という枠内での話です。」「あまり医療に依存しすぎず、老いには寄り添い、病には連れ添う、これが年寄りの楽に生きる王道だと思います。」

今は、具合が悪くなればそれが老化だとしても治療を受けさせないと、家族が保護責任者遺棄罪に問われることになってしまう、それは大きなお世話だ、というのです。病院は治療をし延命をすることが責務だから、穏やかに死を迎えるために弱っていくことを妨げ、地獄の苦しみを与える、というのです。

私にも覚えがあります。30年近く前、当時87歳だった祖父が肺炎になりました。祖父はたくさんの病気を抱え、しかし当時の最新医療技術の恩恵を被って元気に暮らしていましたが、風邪をひいて肺炎になったのでした。東京の老人専門の病院で行き届いた治療を受けましたが回復することはなく、最期、深夜に家族が呼ばれた時には、私たち家族は少し離れた場所から医師が祖父に心臓蘇生を施すのを見、そして臨終が告げられました。何のための心臓蘇生だったのでしょうか。ずっと心にひっかかったままです。

話は本に戻り、老齢者の死について書かれたこの本の中に、面白いことにお産に触れている個所があります。「分娩台での出産は、実は不自然」と見出しが付けられ、京都府福知山市郊外(旧天田郡三輪町)の大原神社の境内にある「産屋」、福井県敦賀市色浜の「産小屋」の天井から垂れさがっている力綱を紹介しています。お産は力綱を握っての坐位分娩だった、そして「これはきわめて“自然の理”に適っている」先人の知恵で、「前近代的な遺習と馬鹿にしてはいけない」、そして現在も「正常分娩は分娩台を取り払って、天井からロープを垂らして、助産婦に任せればいいように思います」と書いています。

人間も動物である以上、自らの生死に対処する本能的な力を、現代人もある程度、忘れずに備え持っている筈です。その声を聞きその声に従う選択肢が“普通”にない現状こそが変であることに、もっと注目すべきだと思います。医学は日進月歩、絶望のどん底から救われる患者さんも大勢います。しかし、医学も科学も分野の一つに過ぎず、人としての価値観や気持ち、感覚を無視するものであってはいけのでしょう。そして自分の生死は、「きちんと向き合って、自分で引き受けるしかない事柄」。生まれるのも死ぬのも病院、おまけに核家族で日常で人の生き死に出会うことがほとんどなく、向き合おうにもきっかけ、良い先輩やモデルに乏しい状況ではありますが、やはり我が事として考え続けたいことです。(中)

(会報誌「満月」2012年5月号に掲載)

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